和とわが本店を構える岩手県一関市。
この地で地域の皆様とともに歩んだ創業200有余年の歴史を大切にしこれからも地域密着で和の生活、そして成人式のお手伝いをいたしてまいります。
一関の歴史
- 戦国時代末期、葛西氏と大崎氏は共に「伊達の馬打ち」と呼ばれる伊達氏の準領土となった。戦国大名・伊達政宗は葛西氏・大崎氏の軍事指揮権を掌握したが、徴税権は葛西氏・大崎氏が握った。
- 1589年、政宗は「東北地方の南半分を征服」し、関東征服を目前のものとした。しかし、政宗の前に豊臣秀吉が立ちはだかったため、政宗は関東地方の北条氏政親子と同盟して秀吉に対抗した。しかし、結局政宗は秀吉に服属し、そのため北条氏は秀吉に攻め滅ぼされ、1590年、秀吉は「日本統一」を達成した。
- 戦後、秀吉は「奥州仕置」を行い、岩手県・宮城県を支配していた葛西氏・大崎氏を滅亡させて、その領地を家臣、木村吉清に与えた。しかし、これに不満をもった伊達政宗は、旧葛西領・旧大崎領で反乱を起こさせた(葛西大崎一揆)。しかし、政宗の一揆扇動は秀吉に露見し、1591年、政宗は秀吉の命令により自ら一揆を鎮圧した。
- 戦後、秀吉は政宗から先祖ゆかりの伊達郡や征服した会津地方などを没収し、その代わりに旧葛西領・旧大崎領を与えた。政宗は福島県・山形県から宮城県・岩手県へと追いやられ、宮城県の岩出山城を居城として伊達領を統治した。一関も伊達領の一部となった
- 秀吉が死ぬと、政宗は徳川家康の政権奪取に協力し、1600年の「関ヶ原の戦い」では、政宗は家康を出し抜いて「天下取り」を試みた。しかし、政宗の天下取りはならず、戦後、家康は江戸幕府を開くことになる。1601年、政宗は仙台城を築城し、仙台城を居城とする仙台藩が誕生した。一関も仙台藩の一部となった。
- 政宗の死後、1641年(寛永18年)、政宗の十男伊達宗勝の領地となり。宗勝は幕府の大老・酒井忠清と結び、1660年(万治3年)に仙台藩の内分家として領地を割き、一関藩をつくった。しかし、宗勝は伊達騒動によって失脚した。
- 伊達政宗の正室愛姫の遺言により、政宗の孫宗良が愛姫の実家三春の田村氏の名跡を継承。1681年(延宝9年)にその子建顕が岩沼藩から一関藩に転封され一関藩主となる。こののち一関藩の藩主は田村氏が代々世襲し、明治維新まで田村家の支配が十一代続いた。
- 一関藩士の大槻氏は仙台藩の藩校、養賢堂の学頭を勤めるなど、「仙台藩の頭脳」として活躍した。
- 明治維新の際の戊辰戦争では、養賢堂の学頭、大槻磐渓が藩論を指導し、仙台藩は奥羽越列藩同盟(北部政府)をつくって明治新政府と戦った。新朝廷を創設する動きまであったが、敗戦により「東武朝廷」の誕生は成らなかった。翌年、一関藩は仙台藩が北方警備のため陣屋を建設していた北海道胆振国白老郡(現・白老町)の支配を命ぜられ、陣屋を壊し、新たに役所等を建築し、現在に至っている。
- 1871年 – 廃藩置県により一関藩が一関県となる。一関が属していた旧仙台領が「仙台県」にならずに「宮城県」になったのは、仙台藩の雄藩のイメージを明治新政府が抹殺したためだといわれる。但しこれは宮武外骨が昭和になって提唱した説であり、実際は官軍側であっても県名に郡名を採用した結果県名と都市名が一致しない例が沢山あることからも、俗説の域を出ない。
一関の祭り
一関夏まつり
一関の夏まつりは昭和23年、カスリン、アイオン両台風からの復興を願い、一関七夕まつりを復活、ついで27年に花火大会が復活し、ほぼ現在の形になりました。各商店街が飾り付けを競い合う大型七夕が通りに彩られ、鼓笛隊、バトントワラーパレードなどのパレードが行われます。また磐井川河畔では水難物故者追悼の花火大会が繰り広げられます。
【開催日】毎年8月第1金・土・日曜日
全国地ビールフェスティバルin一関
一関市の地ビール「いわて蔵ビール」をはじめ、東北はもとより全国の地ビールが味わえる夏にぴったりのビール党にはたまらないイベント。当日はこれらの地ビールが有料で味わえる他、ビールの味を一層引き立てる地場産品などのおつまみコーナーの開設に、特設ステージでのアトラクションが楽しめる。また数枚綴りのビール券は当日券の他に割安な前売り券も販売される。
【開催日】毎年8月中旬
大東大原水かけ祭り
天下の奇祭「大東大原水かけ祭り」は、明暦3年(1657)江戸に大火があり、この日を厄日と定め火防祈願とか防戦伝を兼ねた祭りとして始まったものと伝えられています。今日では、火防祈願、無病息災、大願成就を祈願し厄年の男たちは裸で町の中を走り抜け、人々は桶を持って待ち構え、諸々の願いをこめて男達に水を浴びせかけるという祭りです。先頭を切って走る厄男の持つ旗には「火防御祈祷」としたためられています。
【開催日】毎年2月11日 9:00~15:50頃
長徳寺蘇民祭
岩手県各地で行われる蘇民祭は、「岩手の蘇民祭」として選択無形民俗文化財に選択されている。全裸に下帯のみを身に付けた男性たちの蘇民袋争奪戦(袋ねじり)に注目。蘇民将来の真髄を受け継ぎ地元の女性達は「精進料理(けんちん汁)」でおもてなし。大聖不動明王の御腹には胎内佛(慈覚大師作)が納められており安産、子宝、子孫繁栄の御利益。又、明治26年の火災から広大なる神力により免れ、諸災難消除の御利益と云われている。
一関の名産品
実は一関市は、“もちの聖地”と呼ばれている場所でもあるんです。お正月のみならず、冠婚葬祭、季節の行事、おもてなしなど、あらゆる節目でおもちを食べる文化が根付いております。
一関市の景勝地、厳美渓で伊達政宗も褒めた美しい自然が見られる場所です。そんな厳美渓の名物といえば郭公屋の「郭公だんご」。店は渓流をはさんだ対岸にあり、そこに張られたロープに下がる籠に注文と代金を入れて木槌で板をたたくと、籠は引き上げられて代わりに注文しただんごとお茶が入って降りてきます。籠の中のお茶もこぼれず手元に届くというのは長年の経験によるものといいます。
一関の特産品
白根の部分が太く長く曲がっている、一関市特産の長ネギ。甘さとやわらかさが魅力で、「やわらか美人」がダントツの知名度です。調理の際は加熱しすぎないことがコツ。一般的な長ネギよりタンパク質やビタミンCなどが多い点も特徴です。